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アウトサイダーアートと京番茶

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ひさしぶりに京都へ。

京都へいけば、いつも一保堂さんへ番茶を買いに行く。
「これまでにお飲みいただいたことはありますでしょうか?」
でたー!この質問を待っていました。
以前、「あります」と答えてしまったために、
その先の問答を聞き逃してしまったのだ。

「ありませんと答えたらその先はどうなるんですか?」
店員さんはうれしそうな表情で、
そのお茶がはいった缶をぼくの顔まで差し出す。
「香りをかいでいただきます。京都に住む私たちにとって、番茶といえばこの香りなのですが、
遠方の方にはかなり違和感があるようなんです。なかには返品なさるお客様もいらっしゃって」

そういえば、自宅にくるお客さんにこのお茶をだしても、
飲めない人が確かにいる。
独特の香りがかなり強いお茶なのはたしかだ。
うちはこのお茶がお気に入りで、
ヨメさんは「これ以外のお茶を買ってこないで」と命じるほどなのだ。


一保堂さんの北隣りには、たまに顔を出す画廊がある。
企画展のご案内を送っていただくのだが、
ここの挑戦的というか先進的というか、とにかく前のめりの姿勢には驚かされる。

気になる企画だったので寄ってみた。
題して「アウトサイダー・アートの極致」。
この分野を画廊で企画するのは、日本ではここが初めてなのだ。

日本では「アウトサイダー・アート」というと障害者の作品、
というふうにとられられているのだが(ぼくもそうでした)、
話をきいてみると「今回はいわゆる障害者の作品は一点もないんです」と。
「えっ?じゃあアウトサイダー・アートって何?」

つまり、芸術的な専門教育を受けたことのない、
市井の人々による創造行為をさすのだと。
つまりアウトサイダーは社会的な立場をさすのではなく、
従来の美術の本流の外側にあるという意味なのだ。

社会的な評価が定まっていない作家の作品を扱うことは、
画廊にとってそれ自体挑戦なのだ。
「アウトサイダー・アート」って既存の「アート」の枠をはずれているから
「アウトサイダー」なわけで、かなりのレベルの挑戦だと思う。

「画廊の業界も余裕のないところがほとんどで、
評価の定まらない作家を扱うことはほとんどなくなってしまった。
だからどこへいっても同じようなものばかりで、本当につまらなくなってしまった」とオーナー。
だからこそウチはやるんだと。

これまでも、美の世界では「はずれた国」のオーストラリアや東南アジアの作家を
積極的に扱ってきている。
その歴史の上でさらに「アウトサイダー・アート」なのだ。
ギャラリーの運営は息子さんの代に替わりつつあるが、
まだまだこのオーナーの挑戦的な姿勢は衰えるところをみせないのだろう。

「アウトサイダー・アートの極致」は、5/15まで(休廊日にご注意ください)。
by mesonbox1 | 2008-04-24 12:20