ねじれた父親に似てしまったのか?

次女は、中学校3年生。
地元の小学校を卒業し、そのまま地元の中学校に進学させました。

長女とは明らかに違ったタイプの人間に育っていくのをみて、
違う進路がふさわしいんじゃないかと考えたからです。

学校でのわずかな「ボタンの掛け違い」で、
2年ほど通学していません。

そんな自分を新たな場で、完全リセットしたいんでしょう。
中2の頃から「この高校へ行きたい」と、受験準備を始めています。


長女は、この父親のもとで育ったとは思えないぐらい、
まっすぐな感じなのですが、
次女には「ねじれ」が入ります。
ねじれ具合は、ぼくに似ているような気がします。

「ねじれ」の先輩からすると、
ときに「生きづらさ」に遭遇することがあります。
(誰しもそうなんだとおもいますけど)
その分、楽しく生きていける可能性も、大きいのではないかとも思います。


ぼくにも、学校に行くのがとてもつらい時期がありました。
いまから思うと、その当時は「学校に行かない」という選択肢が、
社会になかったように思います。

ですから、本人の「学校に行けてない」という「後ろめたさ」を横におけば、
実は少しうらやましさすら感じます。

学校に行かないという選択をしていたら、
もう少しまともな人間になっていたのかもなぁーとか。


次女が進学を望んでいる学校も京都にあるので、
進学後は長女と同居させ、
「二人で暮らして行け!」と宣言してあります。


二人が、この社会の中で、どんなポジションで生きていくのか、
ねじれた父親は、ちょっとだけ楽しみです。




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by mesonbox1 | 2015-09-25 12:43