愛と番茶。

久しぶりに「パーティー」に出席した。

見知らぬ人たちとの同席が苦手なので、
できるだけ避けてきたのだが、
大阪でもトップクラスのホテルでの
「ご招待」に引かれて、ふらふらとでかけた。

会場には、600~700人程度いるのだろうか?
着席式の、コース仕立て。
「どんな料理がでるのかなあ?」と素朴に楽しみにしていた。


以前にも書いたが、プロだろうが、家庭料理だろうが、
究極的には「料理は愛」だと思っている。
(ちなみに僕は料理人ではありません)

作る人の、食べる人への想いが何よりも大切。
おいしいとは、「大切にされている」と、
ほとんど同意語だと思うのだ。


その意味で、「宴会料理」は本当にむずかしい分野だ。
「想い」と「効率」の厳しい狭間にあるからだ。

今回の料理、デザートも含め4皿。
仕上げの「手数」が少ないことが気になる。

ある皿は、盛り付けに3手。
(3回のアクションで盛り付けが終わる)
別の皿は4手。


温かい料理は、温かく。
冷たい料理は、冷たいままで。

とともに、一気に数百人の料理を仕上げる。


この狭間の中での仕事は、手数が少ないほうがいい。

テーブルに出されたお皿は、ほとんど「食べ物が乗っているだけ」の印象で、
「大切にされている」というには、かなり遠い距離のところにあった。

なにより質を大切にするとすれば、
ホテル側からすると、本当は「受けてはいけない」仕事だったのかもしれない。
もちろん経営もあるのだから、「お断り」できるはずもないのだが、
「愛」からは距離があるのだ。
一流とは、実はこの「愛」の大きさなのではないかと思う。



そのホテルからの帰り。
デパ地下をウロウロしていた。

京都では、よく立ち寄る老舗のお茶屋さんが出店していた。
ちょうど、いつものお茶を買おうとしたが、そのお茶がディスプレイされてない。

「茶色い袋の、あのお茶は置いてないんですか?」と聞くと、
「はい、ございます。クセが強いものですから、
すぐに手に取れないように隠してあるんです」と、奥から取り出した。

このお茶を買い求める人には、
事情を知ってもらった上で買ってもらうようにする配慮なのだ。

きっと、そのお店でそのお茶は、ほとんど売れないのかもしれない。
でもその配慮は、「愛」だよなー、と思った。
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by mesonbox1 | 2012-01-13 14:18