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受験と「九九」。

c0047201_9504434.jpg娘たちが通う小学校で、個人面談があった。

上の娘は6年生。
6年生全員、そのまま地域の市立中学に進学するが、
ウチの娘だけは京都の中学への受験を選択している。
その受験まで、あと1ヶ月。



6年生への進級前に、思い立って受験させることを決めた。
決めたのはぼくだ。
でも受験するのは、娘。

「なぜ、受験するのか?」「なぜこの学校へ行くのか?」
そんな話を時々に伝えながら、
娘が自分自身の「モチベーション」に変換してくれたらと願ってきた。

それ以来、娘は大きなリュックが裂けるぐらいのボリュームの
学校の教科書と塾のテキストを詰め込んで、
毎朝出かけてく。

塾がある日の帰宅時は、
残業に疲れはてた会社勤めの人たちといっしょに電車から下りてくるといった具合だ。

家にいるときも、自分で組んだスケジュール通りに、
黙々と勉強を続ける。

「勉強しろよ!」なんて言葉は、いまほとんど必要ない。


彼女は何をモチベーションにしているのか。
実はよくわからない。
本人にも言葉にできるほど整理できているわけでもなさそうだ。

自身のお子さんも中学受験を経験している先生とお話ししていて、共通したのは、
彼女の中にあるものは、
自分自身の成長を実感できることの楽しさではないかということだ。


他人が立てた目標かもしれないが、
その目標へひたむきに努力の結果、
着実に成績が伸びてきている。
「偏差値」という輪切りの世界。
でもその世界は数字という形で評価される、実にわかりやすい世界だ。

もちろん問われているのは「問題を解く能力」という断片的なものなのだが、
親がどれほどサポートしていても、
その能力を蓄積できるのは自分自身でしかない。
それへの評価を下されるのも、それを受け止めるのも自分自身。
そんな厳しい世界だからこそ、成長への実感がわかりやすいのだと思う。

ここまで来ると、親ができる事はほんのわずか。
「受験」への過程は、娘自身の「自立」への過程だし、
親も「子離れ」という自立への過程だと実感する。
けなげにがんばる、娘の後ろ姿をじっとみているしかできないのだ。


一方2年生の娘は、クラスで唯一「九九」が全段クリアできていないらしい。
先生は心配そうにおっしゃるが、
「大人になっても九九ができないわけじゃないですし、
多少の遅れは気になりません。
きっとあいつは世間とはズレて生きていくやつだと思ってますから」と。

でも、本人は多少は気にしているらしく、
7の段と8の段を必死に暗唱していたのだった。
by mesonbox1 | 2008-12-18 08:45