Meson Mail

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素敵な結婚式をつくるコツを教えてもらおう。

ちょうど1年前にメソンで結婚式をされたおふたりに、
「準備の段階で、どうやって考えていかれたのか?」をお聞きしてみた。


「そうですねー、テーマを決めること。主役はだれかをはっきりさせることからだったでしょうか。」

このおふたりが招待されたのは、30人ほど。
親しいご親族と友人という構成。

「結婚式では二人がどんな人間なのかを知ってもらうこと。
みんなから結婚の承認をしてもらうこと。
パーティーでは、二人からの感謝の気持ちをつたえること。
これをテーマにしようと決めたんです。
だから、素直に気持ちを伝えたいと思った人だけを招待することに決めたんです。」

なるほどー。

「だから結婚式では、それぞれの友人から二人のことを紹介してもらう。
そして立会人としての署名を全員からしてもらいました。
このときに一人ひとりと話ができたことが、とてもよかった」

「パーティーでは自分たちが進行して、
みんなを紹介しながら自分たちへのメッセージも話してもらいました。」

つまり「主題」を明確にしていくなかで、
ご招待する人たちも、その日一日をどう過ごすのかも
はっきり見えてきたのだということなのだ。

「だからメソンさんのホームページに書かれていることは、
本当にそのとおりだなぁと思いました」と。


ここでおっしゃっていただいたのは、このページのこと。


「大切にしている4つの気持ち」
 ①おふたりの「気持ち」
 ②おふたりからゲストへの「気持ち」
 ③ご家族からの「気持ち」
 ④ゲストからの「気持ち」

これまでさまざまなお二人と、ウエディングをつってくるなかで、
僕たちなりに少しずつわかってきたことを、まとめてきたものだ。

この「気持ち」が伝えあう場が、実はウエディングなのだと。


このお二人がつくりあげた素敵な時間は、そのままお手本のようなものだったと思います。


これから結婚式の準備に入ろうとするおふたりに向けて、
このインタビューを、近日ホームページに公開します。

お楽しみに。
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# by mesonbox1 | 2012-09-24 12:21

外食の理由。

ぼくが外食に行く理由は、きっぱりと3つに分かれる。
(田舎にいると、その機会は多くはないのだが…)


①お腹を満たす。
②話をする。
③半ば仕事として、メソン以外の食べ物屋さんを体験する。

ぼくの場合、この3つは絡み合わず、
一回の外食の機会の目的は一つだけなのだ。

僕自身がそんなふうに考えることを、つい最近思い知った。



ここ2年ほど、大阪の割烹で働く高校時代の同級生と、
大阪の街を食べ歩く機会がある。
彼が独立するにあたって、料理や店のスタイルを決めるための材料集めに付き合うことが目的。
だからその時間は、2人でコミュニケーションをする、というよりその店を体験しにいくのだ。

彼が見に行きたいところをチョイスして、一晩で3軒ほど同行していくのだが、
どうもぼくはいつも落ち着かない。
これまでミシュランの星を獲得しているところも含め、
たくさんのお店を巡ったが、どこもイマイチ居心地がよくない。

それがどうしてだか、よくわからなかった。


先日、あるご夫妻と外食をともにした。
場所は三宮。
数え切れないほどのお店のなかで、最終的にはネットで調べた居酒屋チェーン。
ぼくにとってこのチョイスは、大正解だった。
このお店一軒に6時間半もいて、3人でしゃべりまくっていた。
声が枯れかけたほどだ。

ぼくにとってこの外食の機会は、
ご夫妻と話をすることに目的があった。
その店の広さ、しつらえ、価格、料理が、すべてその目的に合致していたのだ。


では、どうして同級生と行く店は居心地が悪かったのか?
目的ははっきりしていたはずなのに…。

振り返ると、もっと同級生と話をしたかったのだ。
彼の独立にとって、お店の分析などは実は2の次で、
実は彼のなかにすでにある「なにか」を、ちゃんと引き出すことが大切なのだと
どこかでわかっていたのかもしれない。

それにふさわしいのは、1軒1時間ほどで渡り歩くような「会い方」では
ないということなのだろう。


外食の理由はそれぞれ。
お店の好みもそれぞれ。


でも、「イマイチ」という評価は、決してお店側だけの理由ではないと思うのです。


「このお店でよかったなー」と思うのは、
利用する側のチョイスが、自分の目的にふさわしいかどうかが、
とても大切なことなのです。

コレ、決してオーナーの言い訳ではありません(笑)

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# by mesonbox1 | 2012-09-19 14:21

不思議な「間」。

「手をつないでくれなくなった」
「チューしてくれなくなった」
「いっしょにお風呂に入ってくれなくなった」

こんな言葉をよく聞きます。
正直、僕には不思議でしょうがない。

いえいえ、夫婦間の話ではなく、
子どもが親離れをしていく表現として使われる場合の
親の嘆きの言葉です。



我が家には2人の娘がいますが、
今は手もつながないし、チューもしないし、お風呂も入りません。

でも僕の場合は、「してくれなくなった」わけではなく、
僕の素直な選択として、子どもの成長とともに「しない」ように決めていきました。

幼い子どもと手をつなぐのは、安全上不可欠だから。
お風呂に入るのは、衛生上ならびに子育てを分担する意味から。
その意味で、僕にとって子どもとのこの2つの行為は、必要不可欠なことでした。


僕の記憶がたしかならば、チューを僕から要求したことは、一度もないかもしれません。


「親として失格」とか「愛情がたりない」なんて指摘を受けそうです。

半ば、その指摘は認めながらも、子どもがそれなりに育っている事実をみると、
「そんな親もいるんだよねー」と楽観的に受け止めています。

きれいにいえば、子どもの成長を信頼して少しずつ間をとっていく、とでもいえるでしょうか?


実はこの「間」、多分にメソンにも反映しています。

スタッフの人格や性格も接客などに、反映されていくのはもちろんですが、
骨格部分は、やはりいたるところに「間」があるように思います。

この「間」がメソンで過ごしていただく上で、
少なからず「ここちよさ」につながっていると思います。

他人から見ると僕は「短所」だらけかもしれませんが、
うまく裏返せば、それはそのまま「長所」にもなる。

独特の「間」に、戸惑われる人もいるかもしれませんが……。
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# by mesonbox1 | 2012-09-05 13:59

4つ目の客室。

オーベルジュメソンには、客室が3つしかない。

一つはログコテージ。
本館からは独立したペットも泊まれる部屋。

最近は、「どうしたら予約が取れるんですか!」とお叱りを受けるほど、
ちょっといそがしい部屋になりつつある。
アメリカから資材を輸入した重厚感ある丸太で組まれ、
広々として、周りを気にする必要のない独立感が好評なのだろう。

2室あるスーペリアルームは、本館の2階にあるが、
もともと細かく仕切られた部屋6室を、
2室に統合する形でつくった。

リニューアルのプランを考えるとき、こんなことを考えていた。

宿泊をともなった旅行って、結構あわただしい時間だ。
朝、自宅を出発して、観光地をめぐり、宿屋に到着してすぐ夕ご飯。
翌朝ご飯を食べたら、すぐ観光へ。

これといった観光地もない、このメソンだからこそ味わえる、
森の中で「ゆったりと過ごす」時間できないか?と。

スーペリアルームは、
「時を過ごすことを大切にする」ことからプランづくりをスタートさせた客室にした。




さて来年3月ごろ、新たな客室がお目見えの予定です。


今そのプランづくりの真最中。
もちろん、スーペリアルームを考えてきた延長線にはあるが、
ちょっと違う要素が加味している。

「向かい合う部屋」とでもいえばいいのか…。


泊りがけのお出かけは、はっきりとした「きっかけ」があることが多い。
記念日だとか、何かが一段落したとか。
大切な人と、少しだけ特別な時間を共有しようとお越しになるわけだ。

「少しだけ特別な時間を」という思いが、
「本当に特別な時間」になるような客室の仕掛けができればいいなぁー、
という思いでこのプランは出発している。

「こんな客室は、見たことないねー」ということになりそうです。


ログコテージ同様、ペットをお連れでも大丈夫。
お部屋でのお食事も可能なように計画を進めています。

「どうしたら予約が取れるんですか!」というお叱りが、
これで多少でも解消できたらと願っています。


少しずつホームページ上で、お知らせするつもりです。
ご期待ください。
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# by mesonbox1 | 2012-08-14 13:00

文治郎という名を持つ男。

福井県に入ると、いつも思い出す男がいる。
彼は文治郎という古風な名を持つ。


名古屋言語圏に育ったぼくは、
大学に入り関西言語圏の人間たちに囲まれ、かなり戸惑っていた。

その中で、当時のぼくには強烈なインパクトを持つ言語を発するヤツがいた。
それが文治郎だった。

関西圏のすぐとなりの福井で、
強い方言を発する地域があることを初めて体験したのだ。


同時に彼の発言内容は、いまでも忘れられない。


同じゼミに所属していたのだが、
その日の議論のテーマは原発だった。

高校を卒業したてのぼくたちには、大きすぎるテーマだったが、
みんなどこからか借りてきたような、発言を繰り返していた。

文治郎は「みんな原発を福井に押し付けて、ひとごとのように暮らしている。
それに腹が立つ。本当に安全だって言うんだったら、
お前らの家の近くに原発をつくったらいいんじゃ!」


日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年。
ぼくたちが生まれた年に、スタートした。

ぼくたちがそんな議論をしていたときから、約30年。
文治郎が指摘した構図は、全く変わらないまま今に至る。




彼の名を検索すると、地元の中学校で教員をしているようだ。
あの言葉で、子どもたちに何を伝えているのか……。
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# by mesonbox1 | 2012-05-24 08:52

大人への入口。

高校2年だったか、3年の頃だったか。

当時の国語の先生が、教科書にはない短編小説をコピーしてきて、
授業を始めた。

中野重治の「踊る男」だった。

敗戦後の満員電車で人に潰されまいとぴょんぴょん飛び上がる短軀の男と
これをなじる女の話で、1949年の作品。

米軍占領下の日本人が置かれた立場を
満員電車を舞台にした比喩で表現したものだった。


なぜ先生が、この小説を扱ったのか、知る由もないが、か
当時のぼくは「時代」と「表現」がこれほど直結していることに、
かなり衝撃を受けていた。
また、「社会の現実」を初めて垣間見たような気がしていた。

授業の内容は記憶にないが、
ぼくにとっては大人への入口になったように思う。



昨日、福井県内の国道8号線を車で北上していると、
「中野重治文庫」の標識が目にはいった。
「えっ、福井県にゆかりがあったのか?」

車を停めてネットで調べてみると、
出身地が福井県の丸岡町で、
中野から寄付された蔵書などで図書館の中に文庫ができているらしい。


小さな図書館の端の一室に文庫はあった。
部屋の鍵を開けてもらって、ゆっくりと蔵書を見せてもらった。

実は中野重治の経歴などは全く知らないままだったのだが、
亡くなったの1979年。
あの授業はきっとその直後だったし、
実は少しだけ同時代の人だったのだ。

それだけに、ぼくのものと重なる蔵書を何冊か見つけたとき、
はるか彼方にいた人が少しだけ近くに感じて、甘ずっぱかった。

だって大人への入口のきっかけの人なのだから…。
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# by mesonbox1 | 2012-05-22 19:57

呼んでいる仕事。

実は、この年齢にして「仕事ってなんだろう?」
「自分に合った仕事ってなんだろう?」なんて、
いまだに考えることがある。



大学卒業を前にして、いくつかの進路候補があった。
学校の教員、陶芸家、生活協同組合、劇団員。
一見するとこの4つの候補には、なんの脈略もなさそうだが、
ぼくのなかには、共通するそれなりの理屈があった。

「来てもいいよ」といってもらった進路先もあったが、
結局どれにも決めることなく、卒業してしまった。


最初に正規に雇ってもらえたのは、卒業前からアルバイトしていた職場。
その後、一度転職した後、今の自営となる。


そんなぼくにとって、刺激的な文章に立て続けに出会った。
内田樹さんの「仕事力について」
http://blog.tatsuru.com/2012/05/02_0959.php
もう一つは、
ほぼ日刊イトイ新聞の「糸井さん、僕を『面接』してください。」
http://www.1101.com/mensetsu/2012-04-20.html


後者の「面接」は、「コーヒーを淹れる」ことを大切にしてきた就活中の学生が、
会社にその「大切にしてきたこと」を受け入れてもらえない、というお話。
ちょっと、奇異な感じに受け取られるかもしれないが、
当時のぼくによく似ていると思った。

自分にとって大切にしてきたことが、
社会の中でどんな仕事に変換したらいいのかに、戸惑いがあったのだ。


そんなぼくに、目からウロコだったのが、「仕事力について」の中のこんな例えだ。

  歯科医によると、世の中には「入れ歯が合う人」と
  「合わない人」がいるそうです。
  合う人は作ってもらった入れ歯が一発で合う。
  合わない人はいくら作り直しても合わない。
  別に口蓋の形状に違いがあるわけではありません。
  自分の本来の歯があった時の感覚が「自然」で、
  それと違う状態は全部「不自然」だから嫌だという人は、
  何度やっても合わない。
  それに対して「歯がなくなった」という現実を涼しく受け入れた人は
  「入れ歯」という新しい状況にも自然に適応できる。
  多少の違和感は許容範囲。あとは自分で工夫して合わせればいい。

つまり

  仕事というのは自分で選ぶものではなく、
  仕事の方から呼ばれるものだと僕は考えています。
  「天職」のことを英語では「コーリング(calling)」とか「
  ヴォケーション(vocation)」と言いますが、
  どちらも原義は「呼ばれること」です。
  僕たちは、自分にどんな適性や潜在能力があるかを知らない。
  でも、「この仕事をやってください」と頼まれることがある。
  あなたが頼まれた仕事があなたを呼んでいる仕事なのだ。



昨日ブライダルの専門学校に通う、女の子と話をしていた。
「どうしてその道へ進もうと考えた?」

「私の笑顔が家族を幸せにしてるって思ったんです。
 そんな人を幸せにできる笑顔に、たくさん出会えたらいいなって思って」


こんな女の子にとって、これから出会う仕事が、素敵なものでありますように。
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# by mesonbox1 | 2012-05-06 13:35

シュガーと家族の違いは何だろう?

「なぁ、シュガーってウチにきて幸せだと思うかー?」と、
子どもたちに聞いてみた。

シュガーとは、我が家にいる2歳の犬のこと。
保護施設から譲り受けたときに「シュガー」と呼ばれていたのを引き継いだだけで、
名前には取り立てて意味はない。


さて、その問いに子どもたちは、「考えたことないー」だと。
ヨメもあまり関心がなさそうだ。


この犬、我が家に来たときは、多少反抗的な素振りもあったが、
半年以上経つと、おもちゃのように扱われても、
嫌がることもなく、黙って受け入れている。
多少、困ったかのような表情を見せる気配もあるが、
本当のところはわからない。

でも、無気力になっていくような感じがどうも気になる。


親からも、兄弟からも引き離され、
見知らぬ人間たちといっしょにいて、
主張するわけでもなく、反抗するわけでもなく、
黙って人間と暮らしている。

そんな様子をみていると、
「犬の幸せってなんだろう?」と考えてしまうのだ。


定時にエサはやり、散歩も行ってるし、
家族にもなじんでいる。
まぁ、飼い主としては「やることはやっている」はずだ。


ほかにできることもないのだが、
このままでいいんだろうか?と気になる。

かといって、「ウチのヨメは僕と結婚して、幸せなんだろうか?」とか、
「子どもは、ウチに生まれてきて幸せなんだろうか?」とは考えない。

シュガーと家族の違いは、何だろう?
こんなこと気にしてるのは、ボクだけ?
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# by mesonbox1 | 2012-04-09 16:07

幸せのオーベルジュ?

以下の文章は、最近とある人に送ったメールです。


………………………………………………………………………………



先日、近江舞子駅からの車で同乗されたご家族は、
3年ほど前に発行された朝日新聞読者向けの「暮らしの風」という冊子で、
メソンが掲載されていたのを残していて、今回ご宿泊されたという方でした。

私 「その記事で、何が印象に残ったんでしょうか?」
夫人「オーベルジュっていう、新しい時間の過ごし方がいいなーと思って。
   昨日は早くチェックインしたんですけど、どこにも行かずに
   『怒りの葡萄』(注:メソン所蔵)を見てたんです」
私 「そーですねー、観光地じゃないですから…」
夫人「そう。ここは、でかけないといけないっていう、脅迫観念が全くないんですよー」

「新しい時間の過ごし方」は、オーベルジュ一般ではなく、
こんなところにあるメソンならではの提案なのですが、
このやりとり、メソンを象徴している内容だと思います。


これまで、お話していたことですが、
メソンのポジションを簡略化して、整理してみる必要性を感じました。



A <外的要因からのアプローチ>

所在地 滋賀県大津市北比良1039-45
       ↓
著名な観光地にない、絶景もないメソン
       ↓
「観光」以外に、メソンを訪れる目的をつくる
       ↓
でかけるという強迫観念がない場所だからこそできる「過ごし方」の提案
       ↓
閉じよう!籠もろう!
       ↓
「籠もる」にふさわしい場と仕掛けの提供
       ↓
「過ごす」ことを大切にした部屋+ライブラリー(本・雑誌・CD・DVD)+CD・DVDプレーヤー+コーヒーメーカー+インターネット+テレビなど、
あらゆる「過ごし方」に対応。

*2階のスーペリアルームへのリニューアル時は、こんなことを考えていたわけです。
 このころは、2連泊からしか予約を受けないようにしよーかと、まじめに考えていました。



今回は、以下が加わっています。

B <ボクという内的要因からのアプローチ>

幸福を実感できないボク。コミュニケーションにコンプレックスをもつボク。
       ↓
「しあわせってなんだろう?」
       ↓
大切な存在として、誰かの心の中に自分がいるって実感することなんじゃないかなぁ。
       ↓
非日常感覚のコミュニケーションの大切さ 
       ↓
非日常は、結婚式に象徴されるが、
もう少し「日常」に引き寄せたところでその機会がつくれればいいよなぁー。
       ↓
そのための時間の場を提供することが、メソンと僕のミッション。
それを通じて、「しあわせ」に貢献したい。


AとBをプラスしたオーベルジュメソンのスタンスを、内外に明確に打ち出したい。

そのための仕掛けが今回の依頼、というわけです。



メソンは現在、「トリップアドバイザー」という旅行業界で世界最大の口コミサイトで、
滋賀でNO1、近畿で6位です。
http://www.tripadvisor.jp/Hotels-g298189-Kinki-Hotels.html#T_CAT_HOTEL_MOTEL
リッツカールトンやハイアットと、ゴージャスさを競うつもりは全くありません。
「幸福感」への貢献で、独自の領域への挑戦をしたいと思っています。
 
わかりにくければ、いっぱい質問してください。

思いついたことがあれば、またメールします。
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# by mesonbox1 | 2012-04-06 09:48

愛妻 納税 墓参り?

愛妻 納税 墓参り。
この3つ、ある政治評論家の座右の銘だそうだ。
少し前なら、まったくピンとこない言葉ばかりだ。



先月、確定申告の書類を作りながら、
ふと税金について考えていた。

これまで、ぼく自身はどれくらいの額の税金に支えらて生きてきたのかと。
(ここでの税金は「みんなで出し合ったもの」という程度でお考えください。
ですから健康保険料・年金なども含んでいます)



母親から生まれる時、出産手当がもらえる。
(当時はどうだったか知らない。またこの手当て、財源は税金か?保険料か?は明確ではありません)
葬儀の際にも、手当がある。

育児・教育・医療・福祉・ライフライン……。
人が生まれてから死ぬまで、
「公」が支えてくれる費用は、一人当たり数千万円にものぼるのだろうか?


一方、「ぼくはこんな額しか納税してない」という現実がある。
このバランスの悪さが、気になったのだ。


ぼくを支える「公」の支出と、ぼくが支払う「公」への支出の差額は、
誰が穴埋めしているのか?

もちろん個人だけではなく、法人の納税というルートはあるが、
簡略して予想すれば、「借金」で穴埋めしているのだ。

これが、日本という国の歳入・歳出の基本的な構図だと。

「こりゃ、ダメだ」

納税とは、恩返し。
支えてもらった額ぐらいは、「公」に恩返しなければ、
日本という国の再生産もできないのだ。

この意味からすると、納税しない「主婦」という不可思議なポジションは、
「社会的恩知らず」となる。



上記の政治評論家がいう、「座右の銘は納税」の意味って、こんなことなのかなぁと。



と、税金についてちょっとまじめに考えてしまったのだ。

*非常に雑な話であることは、自覚しています。
 ご了承ください。

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# by mesonbox1 | 2012-04-05 08:32

ブータンの祈り。

ブータンのおばあさんが、自宅の仏壇に向かった後に、
こんな言葉を発していた。

「生きとし生けるもの、すべてのものから苦がなくなるようにお祈りしたんです。」


驚いた。

その仏壇には、これまでに亡くなった家族たちの写真もあり、
「自分や家族の幸せ」を祈るのがフツーなのだと思っていた。

ブータンの仏教は、そういうものらしい。


そのおばあさんの家族や近所の人々は、
例外なく「今、幸せだ」と答える。

『国民の幸せ』を最大化することを目指すブータンの
大切な部分を垣間見た気がした。

単に国の経済政策などの課題なのではなく、
そんなふうに息づく宗教や文化が担う役割が大きいのだと。


「幸せ」って、他者の中に自分という存在があることを実感することだって、思う。
自分は、誰かの役に立っている。
それを実感したとき、幸せを感じるのはその一例だ。


他者のために祈ること、他者のために生きること。
そのことそのものが、自己の幸せなのだ。

自己のための祈りをしている限り、幸せにはなれない、ってことなのかもしれない。


ふだんから全く祈らない僕が、「自分を差し置いて」感じたことと、
ご了解ください。
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# by mesonbox1 | 2012-02-14 22:15

受け流す、ということ。

飛行機や電車に乗ると(閉所にはいると)、
息苦しくなり、いてもたってもいられなくなるときがあります。
こんな症状を、「不安症」とよぶらしい。
頭が勝手に考える「不安」が暴走し、
身体的な不安症状を引き起こすといったらいいかもしれません。

テレビを見ていたら、精神の病ではなく脳の機能障害だということです。
脳の機能を鍛えれば、治まるのだと。


その番組で、日ごろその機能を鍛えている人が登場し、
バンジージャンプを飛びました。
その人は、あまりジタバタせずに飛んでしまいました。

飛び終わってからのインタビュー。
「怖くなかったですか?」
「こんなに高いところですから、怖いに決まってます」
「でもパニックになってなかってですねー。
あれこれ考えませんでしたか?」
「はい、考えませんでした。考えても仕方がないことです」
「飛ぶ瞬間、頭に浮かんだことは?」
「とくに何も。川の音がきこえていたかなぁー」

実はこの人、禅宗のお坊さん。
座禅の行為が、脳のある部分を鍛えるのに役立つらしいのです。

このお坊さんいわく、座禅中、頭の中で「無」というよりは、
浮かんだことを受け流している、というのです。

この行為が、現実に起こっていることと、
頭の中で考えることを区別し、客観視する機能を鍛える。


一般人向けにはこんなことが紹介されていました。
きれいな小川のせせらぎに、葉っぱが流れていくイメージをする。
その葉の上に、思い浮かんだことを、乗せて流してしまう。
それを1日数分すると、客観視する機能が鍛えられるらしいのです。


これをしていると、頭が「負のイメージの連鎖」をやめてしまう。

「不安症」とまでいかなくても、「負のイメージの連鎖」って、
結構たくさんの人がやってしまっている気がします。

もしかすると世界中、国家レベルで連鎖を続けてしまっているのかもと、思います。


葉っぱに乗せて、流してしまえばいいんです。はははっ。
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# by mesonbox1 | 2012-01-29 12:25

愛と番茶。

久しぶりに「パーティー」に出席した。

見知らぬ人たちとの同席が苦手なので、
できるだけ避けてきたのだが、
大阪でもトップクラスのホテルでの
「ご招待」に引かれて、ふらふらとでかけた。

会場には、600~700人程度いるのだろうか?
着席式の、コース仕立て。
「どんな料理がでるのかなあ?」と素朴に楽しみにしていた。


以前にも書いたが、プロだろうが、家庭料理だろうが、
究極的には「料理は愛」だと思っている。
(ちなみに僕は料理人ではありません)

作る人の、食べる人への想いが何よりも大切。
おいしいとは、「大切にされている」と、
ほとんど同意語だと思うのだ。


その意味で、「宴会料理」は本当にむずかしい分野だ。
「想い」と「効率」の厳しい狭間にあるからだ。

今回の料理、デザートも含め4皿。
仕上げの「手数」が少ないことが気になる。

ある皿は、盛り付けに3手。
(3回のアクションで盛り付けが終わる)
別の皿は4手。


温かい料理は、温かく。
冷たい料理は、冷たいままで。

とともに、一気に数百人の料理を仕上げる。


この狭間の中での仕事は、手数が少ないほうがいい。

テーブルに出されたお皿は、ほとんど「食べ物が乗っているだけ」の印象で、
「大切にされている」というには、かなり遠い距離のところにあった。

なにより質を大切にするとすれば、
ホテル側からすると、本当は「受けてはいけない」仕事だったのかもしれない。
もちろん経営もあるのだから、「お断り」できるはずもないのだが、
「愛」からは距離があるのだ。
一流とは、実はこの「愛」の大きさなのではないかと思う。



そのホテルからの帰り。
デパ地下をウロウロしていた。

京都では、よく立ち寄る老舗のお茶屋さんが出店していた。
ちょうど、いつものお茶を買おうとしたが、そのお茶がディスプレイされてない。

「茶色い袋の、あのお茶は置いてないんですか?」と聞くと、
「はい、ございます。クセが強いものですから、
すぐに手に取れないように隠してあるんです」と、奥から取り出した。

このお茶を買い求める人には、
事情を知ってもらった上で買ってもらうようにする配慮なのだ。

きっと、そのお店でそのお茶は、ほとんど売れないのかもしれない。
でもその配慮は、「愛」だよなー、と思った。
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# by mesonbox1 | 2012-01-13 14:18

あなたが結婚式・披露宴をする理由。

「ゲストに感謝の気持ちを伝えるため」
「ゲストに喜んでもらうため」
「以前からあこがれていたため」
「けじめなので」


上記は、結婚したお二人が、
「披露宴・披露パーティーをした理由」の上位に選んだ質問項目で、
結婚情報誌の調査によるもの。

上位2つを素直に解釈すれば、ほとんどの人が、
「これまでホントにありがとう。今日はようこそお越しくださいました」というお二人の気持ちと、
「結婚おめでとう。よかったね」というゲストの気持ちを交し合う、
コミュニケーションの場として「披露宴」が設定されたことになる。


ところが、同じ調査によると実施した演出の上位は

<結婚式>
1、フラワーシャワー、ライスシャワー
2、挙式時の音楽を自分で選ぶ
3、ブーケトス、ブーケプルズ

<披露宴>
1、ファーストバイト(ウエディングケーキを互いに食べさせあう)
2、親に花束を贈呈する
3、生い立ち紹介などを映像演出で行う

となる。

もちろんメソンでもこれらの演出は、実施されるケースは多いが、
これらだけが時間割どうりに並んでいたのでは、
どうも「想い」と「行動」がずれている気がしてならない。

大切な「コミュニケーション」の様子が、見えてこないのだ。


式や披露宴を意味のあるものとは思えないため、
実施を見送る人たちが増えているのは、
こんな「ズレ」が大きな影響を与えているのだと思う。



もう一つ気になるのは、「けじめなので」という回答。
「けじめ」という意識はわかるが、何をしたら「けじめ」になるのか、
お二人も会場側もあまり、明確な答えをもっていないのではないだろうか?

誰にけじめをつけるのか?
お二人の間
お互いの家族・親族
友人や職場、近所  など

そのために

結婚式をすること
夫婦・家族になることを、誓う・約束すること
結婚すること(自立)を宣言すること
自分がどんな人と結婚するのかを知ってもらうこと
互いの親族が顔を合わせること
自分の友人へ紹介すること

実は、いろんな要素が考えられる。



なにより大切なのは、あなたが式や披露宴をする理由。

あとは、いろんな情報に惑わされず、
最初の「想い」を大切に、お二人なりの形にしていくことなのです。
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# by mesonbox1 | 2011-12-09 14:22

「親ができるのは『ほんの少しばかり』のこと」

次女は小学5年生。
「自分」を確立させていく入口にいるようだ。
学校に行ったり、行かなかったり。

うまく言葉にできないようだが、
学校という組織や同級生たちと、自分との間に「距離」を感じているようだ。
その「距離」がなんなのか?
それを自分のなかで大事に育てながら成長していけば、
おもしろく生きていけそうだなぁーと思う。


一方、長女は中学年3年生。
最近、通学途中の電車の中では、小説を読むのに夢中なようだ。
「でもなぁ、『私ってなに?』みたいなもんを読むとすぐ寝てしまうねん」。

「なるほどなぁー。たしかに僕の周りにもそんなこと考えもしないで、
平然と生きていけるヤツがいる。それはそれで、うらやましいと思うわー」
この長女、思春期真っただ中なはずなのに、その「複雑さ」はほとんど感じない。
「学校休むの大嫌い」少女なのだ。


ぼくは次女に近かったような気がする。

小学5年生の時、児童会の書記という役に選出された。
選挙といっても、先生たちがなかばお膳立てをするわけだが、
5年生がなれる唯一の役員ポストで、
6年になった時の会長候補と目される子どもがなるのだ。

だが翌年、ぼくは会長選挙に立候補しなかった。
担任の先生にも、校長先生にも説得され、
親まで呼び出されたが、最後まで拒否した。


きっとその時のぼくは、大人たちが納得するような言葉は
発することができなかったと思う。


大人たちの過大な期待に応え続けること、
自分ではない他人が決めようとする枠の中に居続けること、
予定調和的な路線に乗ること、
そんなことに「NO」と言いたかったのだと。

いま振り返るとそんなことだったのだろう。



それ以降、ぼくは自分自身の足で歩いてきたのだと思う。
「期待」に応えなかった自省も含めた、たくさんの迷いを背負いながら。

でも、この時の行動がいまの「ぼく」の原点なのだと、いまでも時々に思い出す。


娘たちに語るべきことは、山ほどある。
でも、どう考え、どんなふうに歩いていくかは、自分が決めること。

「親ができるのは『ほんの少しばかり』のこと」(山田太一)なのだ。
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# by mesonbox1 | 2011-10-26 12:28

多数派ぎらいの責任のとり方。

幼い頃から、「多数派」に所属することが苦手だった。

クラスで「あの子がきらい」という雰囲気が蔓延してくると、「あの子」と遊んでいたり、
進学や進路を決めるときも、その学校で「ありがち」な選択を避けるように決めたりしていた。

そのせいか政治の場面でも「現状じゃないほう」、
つまり少数派を選択することが自然なことだったのだ。




しばらく前まで、どんな場に顔を出しても最年少だったと思っていたのに、
いつの間にか最年長になる場が増えてきた。

以前は、「今の政治は…」とか「今の世の中は…」なんて、
気軽に他人のせいに、つまりは「多数派の人たち」の責任にしてきたのだが、
若い世代からすれば、そんな現状を作ってきた「大人の責任」なのだと気づきだしたのだ。

もちろん「大人」のど真ん中に、ぼくはいる。
つまり「今」は、誰でもないぼくたちの選択の結果なのだ。



僕たちが生きていることや、僕たちの仕事が、
これからが少しでも楽しく、幸せにつながるようになればと願う。

もっと社会的な影響力を持たないと、その責任を果たせないとも思う。


でも多数派という「量」ではなく、「スタンダードをつくりあげる」という角度で挑みたい。
それが、「多数派ぎらい」と「責任」との、ぼくなりの結び目なのだ。
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# by mesonbox1 | 2011-10-18 11:09

「Waltz for Debby」な時間。

ぼくが大学生の頃、友人の下宿で初めてJAZZを耳にした。
安物のウイスキーを飲みながら、
タバコの煙とお香の香りが充満した部屋。

そこで聴いたJAZZは、大人の世界だった。

流れていたのは、「Waltz for Debby」。

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ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスが、
1961年にヴィレッジ・ヴァンガードで行なったライブを収録したアルバムだ。

そのライブ盤には、お客さんの大きな笑い声やグラスの音が、
一緒に録音されている。
こんなに会場の雰囲気を伝えるライブ盤はめずらしい。

自分で「Waltz for Debby」を買い、狭い下宿を真っ暗にして、
大音量で聴いていると、自分もライブハウスにいるかのようだ。

美しい演奏を聴きながら、楽しいお酒と会話のある風景は、
他では経験できないような、「大人な夜」をイメージさせるに十分だった。



今年の4月、彼がオペラを歌うことを仕事にするお二人の結婚パーティーが行なわれた。
彼は、パーティーの様々な場面で歌い、彼の仲間も演奏に加わった。

ゲストはそれを聴きながら、思い思いに食事をし、
お酒を飲み、会話を楽しむ。

他では体験できない時間が、そこにあった。


JAZZとオペラ。夜と昼。
趣は全く違うが、「Waltz for Debby」のような時間を、
メソンでできないかという試みが、
10月22日の「ごちそうさまの音楽会」

実は、出演者の一人は4月に結婚された彼なのです。

残席はあまりありませんが、まだご予約は可能です。
よろしければ、どうぞ。
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# by mesonbox1 | 2011-09-25 11:38

広告宣伝費ゼロへの挑戦?

ウエディング関連サイトの女性が、営業にお越しになった。


「ホームページを拝見しました。
オリジナルなウエディングをされているのがよくわかります」

「そーですかー。でもオリジナルなウエディングなんてめざしてないんです。
お二人にとって何が大切か。一緒に見つけて、形にしているだけですから…」


『オリジナルウエディング』って言葉が、言われはじめて久しい(最近は下火かなぁ)。

『オリジナルウエディング』という「スタイル」が存在してしまうこと自体、
すでにオリジナル性を失っているという、自己矛盾に陥っている。
この言葉、これまで、いかにこの業界が「お二人」を尊重することなく、
ウエディングをつくってきたのかを象徴するような言葉なのかもしれない。


このサイトで広告を出すかどうかは未定だが、
今メソンは、多少やせ我慢してでも、広告宣伝費ゼロへチャレンジしようとしている。

ホームページのリニューアルは、その一環。

明確な戦略が確立できているわけではなく、暗中模索、走りながら考えながらの状態。

その基本は、「感動の共有」というところか。

「これ食べてほしいなぁ」「こんな贅沢な時間を過ごしてほしいなぁ」なんて、
自分たちが「いい」と思えるものがいっぱい詰まったメソンを作り上げていくこと、
そんな自分たちの思いを自分たちの言葉で素朴に伝えること。
その2つの両輪で、前へ進もうということ。


これまでの広告のような「いかに売るか」に力を注ぐのではなく、
「共有したい」という思いを伝えようということなのです。


「広告屋っていうのは、できない約束をし続けることが仕事だった時代が長かったんです。」
最近、イトイさんがこんなふうに語っていたが、その対極にいようと。

ウソをつく必要がないこと、ごまかす必要がないこと。誇張して語らないこと………。

これだけでも結構クリアするのが、実はむずかしいことだったりします。

このチャレンジは、そこからのスタートです。
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# by mesonbox1 | 2011-09-05 16:01

恐るべし!コミュニケーションツール。

「菓子は、人と人との間をとりもつコミュニケーションツール」
老舗京菓子店の店主が、そうおっしゃっていた。


「?」
その言葉だけでは、正直意味がよくわからなかった。

その店主は「菓子は、お中元・お歳暮・お土産など、
人の気持ちを伝えるために贈られるもの。
贈り先へ気持ちを伝えるためには、
作り手の気持ちが込められていないと伝わらない。
私たちは、そのための努力を惜しまない」と続けた。

だから、菓子は「コミュニケーションツール」そのものなのだと。


菓子=贈り主の気持ち。


驚いた。


でも、確かにそうなのだと思った。


最近、2ヵ所にお土産をもって訪れた。
滋賀では有名な菓子だ。
でもぼくは、そこにどんな思いを込めたのだろう?
あらためて考えたことがない、と気づく。



この菓子論。
きっと、菓子という「コミュニケーションツール」を使いこなす、
贈り主自身の「こころ」も問うているのだ。


千数百年の深み、恐るべし!
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# by mesonbox1 | 2011-08-20 12:11

両親とのドライブ。

10年ぶりぐらいだろうか、
両親を車に乗せて出かけた。

帰省したときに見る家の中だけの様子なので、よくわからなかったのだが、
外出してみると、二人ともすでに歩く様子がおぼつかない。
車に乗り込むのにも時間がかかり、ドアを開けるのも、精一杯の力を込めている。
二人とも80歳を過ぎている。


出かけた先は、二人のそれそれの両親が眠るお墓。
父が車の運転を断念してから、墓参りにはいってないらしい。
何年ぶりなのかはっきりしないが、かなりのご無沙汰だったようだ。


墓に手を合わせながら「これで、安心してあの世にいけるわ」と母が言う。
これまでの僕なら弱音を吐く親には、イライラした気分になるところだが、
このときは、そのままその言葉を受け止めた。


二人とも致命的な病気をもっているわけではないので、
最後の墓参りになるとは思えないが、
そんな可能性をわずかでも感じていたのかもしれない。


「ほんとに助かった。ありがとうございました」と父が、息子のぼくに言う。
老いてから、いろんなことに遠慮しながら、
小さくなって暮らしている様子がうかがえてしまう。


帰り際、母が「ガソリン代」としてお金をくれた。
高速料金にガソリン代を足しても、多すぎる金額だ。

これまでなら「いらない」といって、受け取らないのだが、
このときは素直に受け取った。

親の子供に対するプライドなのだと思った。



ぼくにとっても、その墓参りは15年以上のご無沙汰だった。
「墓参りに行きたいので、道案内してくれへん?」
今回のドライブは、ぼくが両親に頼んだのが発端だったのだ。

どちらも山の中腹にある、見晴らしのいい場所にあった。
草刈がされていて、
地域の人たちがきちんと手入れされているのがわかる。

どのお墓も、太陽が昇る東を向いていた。
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# by mesonbox1 | 2011-08-18 19:17

直帰率100%!

「直帰率」という言葉、ご存知だろうか?

ぼくは、つい最近まで知らなかった用語だ。

「ウェブサイトに訪問した人が、入口となった最初の1ページ目だけを見て、
サイト内の他のページに移動せずにサイトから離脱
(ブラウザを閉じたり、他のサイトに移動してそのサイトを退出すること)してしまう割合。」

メソンでいえば、
宿泊やレストランやウエディングの予約を受けるためにホームページは存在するのに、
目次の役割でしかないトップページだけ見て、
それ以上見るのをやめてしまう人の割合のことだ。

訪れた人からすると、
「あっ!違う」とか、「これ以上見る価値なし」などと、
瞬間的に判断されたことになるのだろう。

ネット上のサイトで、商売をしている人からすると、
神経質になってしまう用語、というわけだ。


でも、この用語を耳にしたとき、実はかなり笑ってしまった。

会社勤めで、営業的なポジションにいる人にとって、
「直帰」という言葉は、少なからずなじみがあるはずだ。
簡単にいえば、営業先から会社に帰らないで、
そのまま帰宅する形態のことを指す。



メソンの立ち上げ準備に入っていたとき、
ぼくはまだサラリーマンのままだった。

夫婦二人だけの立ち上げ作業は、膨大な量だった。
当時の上司には、全てを明らかにしないままの準備だったので、
「直帰」を連発せざるを得なかった。
それだけでは足りないので、「直行」も多用。
(「直行」とは、会社に出社しないで、直接営業先に向うこと)
その上、企画をつくるときには、「在宅」も少なくなかった。


つまりある時期、ほとんど会社に顔を出すことなく、
会社勤めをしていたことになる。


ぼくの「直帰率」は、限りなく100%に近かった。
メソンのサイトの「直帰率」は、現在20%前後。


20%をどう評価すればいいのか、微妙だが、
「直帰率100%」は、「いい数字」とはいいがたい代物だ。
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# by mesonbox1 | 2011-08-14 11:38

隣の森の建売住宅!?

「お宅の隣の森、建売住宅の計画があるんですけど…。
私もその土地を持っててもしょうがないので、お売りしたいなぁと思って…」


4年ほど前だろうか。
メソンのレストランから見える森に、
建売住宅の計画が持ち上がった。

大阪に住む土地の所有者の方が、お越しになって、
「いかがですか?」と。


お越しになった方はお分かりだと思うが、
あそこに住宅が建って、洗濯物でも干された日にゃ…。
「景観が損なわれる」なんてもんじゃすまない。

おそらくその時点で、営業が続けられなくなるだろう。

即断せざるを得なかった。
ありがたいことに、おそらく周辺の土地の底値以下で譲っていただいた。


でもナケナシのお金をはたいてしまったので、何年も放置。

1年前、ようやく小道をつくり、お店へのアプローチにしたが、
道をつくっただけなので、いかにも趣がない。


そうだ!と思いついたのが、「アートな小径」。
メソンを立ち上げたころから、ギャラリー機能を持ちたいとは思っていたが、
スペースの問題がクリアできないままだった。


ある作家さんに相談すると、
「面白いんじゃないですかー」と。
その人を窓口に、石・金属・樹脂などの、
アート作品があちこちに展示されることになりそうだ。

もちろん、美術館とは違うので、その作品が購入も可能なのです。


このプラン、形が出来上がりそうな時点で、
またお知らせします。
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# by mesonbox1 | 2011-08-01 14:25

10年前のお葬式。

大阪のMBSラジオから配信されているポッドキャストの番組
辺境ラジオ」を聞いていた。

テーマは「3.11以降をどう生きるか?」
結びの言葉のような形で、内田樹さんが
「あまりにも大きな事件に遭遇したとき、一人一人まったく違う時間が流れる。
それぞれの時間に合わせて、その経験を咀嚼してほしいと思います。」と。
(これだけでは意味不明だと思いますが、ぜひポッドキャストをお聞きください。)


これを聞きながら、思い出していた光景があった。

10年ほど前、そのころ勤めていた会社の先輩のご子息が、自死した。
小学生だったか、中学生だったか…。

会社全体にもかなりの衝撃的な出来事だった。
もちろん、ぼく自身にとっても。

数日後、お葬式が行われた。
会社の人たちの多くは、参加したのだと思う。

だが、ぼくはその葬式に行かなかった。
会場近くまでは行ったのだが、それ以上足が進まなかった。

ぼくは、その先輩に語る言葉を持たないし、
その先輩も、訪れた人たちに伝える言葉が準備できるはずもないと思った。
そんなときに、出会ってどうする、と思ったのだ。

しばらくして、その先輩は会社を辞し、
「教育と人間関係の相談室」を立ち上げた。

実は、10年経つ今でも、そのときの僕の対応はそんなことで良かったのか?
と考えることがある。



東日本大震災が起きて、しばらく考えていた。
「どうしたらいいのだろう」と。

あるとき「メソンとしては、特別な対応は何もしない」とスタッフに伝えた。
「これまで以上に、お客さんに満足してもらえるようにする。それに徹しよう」と。



「それぞれの時間に合わせて、その経験を咀嚼する」
これでいいのだと思う。

10年後、あのときのお葬式のように、
「そのときの僕の対応はそんなことで良かったのか?」と考えているかもしれないが…。
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# by mesonbox1 | 2011-07-27 13:20

京大式カード?

「梅棹忠夫」って方、ご存知だろうか?

日本における文化人類学のパイオニアで、『知的生産の技術』の著者。
「情報産業」の名付け親ともいわれている人物だ。


僕自身、学生時代に『知的生産の技術』を読んだ程度なのだが、
いつも大きくて、真っ黒なサングラスをかけている知的な姿に、謎めいた関心があった。


大阪万博記念公園内にある、
国立民族学博物館の館長を長年勤められてきたが、
いまそこで、「ウメサオタダオ展」が開かれている。
http://www.minpaku.ac.jp/special/umesao/

会場に着くと、ちょうど博物館の教授によるガイドツアーが始まった。
業績のほとんどを知らない僕には、ありがたい。

そこで紹介されていたのが、「京大式カード」
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1009/15/news054.html

なんの変哲もないB6のカードなのだが、
膨大な情報を整理していく手段として、
梅棹さんが確立した方法の一つなのだ。


「このカード、以前使ってたなぁ」

『知的生産の技術』を読んだだけの学生は、
実はこんな影響を受けていたことを思い出した。

当時、なんの研究テーマもなかったが、
濫読していた本の中から、
残しておきたい文章を書き写していたのだ。

数年前にそのカードが出てきたが、
内容が恥ずかしくて、処分してしまった。


でも、そのうちの一つだけは、記憶に残っている。

それがこの文章だ。

───────────────────────────────────────────────────────

人間は完全なる存在ではないのだ。

不完全さをいつも背負っている。

人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、

不完全でありその不完全さを

克服しようとするところにあるのだ。

人間は未熟なのである。

個々の人間の持つ不完全さはいろいろあるにしても、

人間がその不完全さを克服しようとする時点では、

それぞれの人間は同じ価値を持つ。

そこには生命の発露があるのだ。



『二十歳の原点』高野悦子
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# by mesonbox1 | 2011-05-27 10:50

見知らぬ先輩たちの姿。

メソンがレストランをスタートさせる時、
「遠方からでもお越しいただく価値のある、
滋賀を代表するレストランにしたい」と思っていた。

思ってはいたが、どうしたらそこへたどり着けるのか、
皆目わからなかった。


滋賀はもちろん、京阪神にメソンの存在を知らせる術がない。
「基本的に広告は打たない」なんて、かっこつけ続けてもきた。


ぼくたちにできるのは、
すでにそんな存在になっているレストランを見て回って、
メソンなりにアレンジしながら、
お店をつくりあげていくことだけだった。


それから9年。
今日も遠方からお客様がお越しになる。

一時期「到達してしまった」なんて、勘違いして思い上がっていた時期もあったが、
その一方で、「至らなさ」も感じ続けてきた。

ときどきに、資金繰りに四苦八苦しながら、
大小のリニューアルをしてきたが、ずーっと「至らなさ」が残る。


「至らなさ」を埋めていくには、これから何ができるのだろう?

はるか前を走っていく、見知らぬ先輩たちの姿を見に行くことからのリ・スタートなのです。
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# by mesonbox1 | 2011-05-15 11:29

新しい表現方法。

昨日ぼんやりテレビを見ていたら、
電子書籍の推進役を果たす、
村上龍氏の動きを追う番組が放映されていた。

少し前まで「電子書籍」って、紙でできた本の文字が、
パソコンなどの電子媒体に映し出されるものを読むだけ、というイメージ。
かつて、その周辺で仕事をしていたので注目していたが、
ここ10年間浮沈を繰り返してきた言葉だった。



文章・音楽・写真・動画がトータルなものとして、
何かを伝えようとするもの。

それが村上氏のつくりあげようとするものだ。

すでに「電子書籍」という言葉では表現できない、
「新たな表現方法」なのだ。


この秋、メソンを会場にコンサートの企画がスタートしている。
レストランを会場に演奏を聞くというスタイルは、
取り立ててめずらしいものではない。

メソンという場、食事のスタイル、演奏と歌、
出演者とメソンのスタッフ、そしてお客様。
そんな要素が融合して、「全く新しい表現方法」が見出せそうな気がしている。

そんなことができるんだったら、やってみようと。

これまで、この分野に消極的だったのは、
「らしさ」を表現する術を見出せなかったからだと。

その第一弾を今年10月に予定しています。
詳細が確定次第、お知らせさせていただきます。
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# by mesonbox1 | 2011-05-04 11:23

作文の宿題。

小学5年になる娘が宿題をもらって、学校から帰ってきた。

娘 「めっちゃ宿題あんねん!」

私 「ふーん、どんな宿題なん?」

娘 「国語と算数と作文」

私 「作文ってなに書くんや?」

娘 「ゴールデンウイークのこと」

私 「書くことないやん」

娘 「そーやねん」

私 「そしたら、うちの親はゴールデンウイーク中、
   ずーっとお店の仕事だから、ずーっと家にいましたって書いたらどうや?」

娘 「わかった。そうするわ!」

なんてやりとりをして、30分後には原稿用紙2~3枚ぐらいを書き上げたようだ。

この娘は10歳。
私たち夫婦がメソンをはじめてまもなく9年。

世間が休みの日にでかけた経験は、ほとんどない。
子どもも、週末とか連休って、そういうものだと思っているから、
親に出かけることをねだることもない。


この子どもが親になったとき、この「世間とのズレ」はどう影響するのだろう?
どこかでうまく解消されるといいんだけど…。
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# by mesonbox1 | 2011-05-03 11:00

「アラウンド・フィフティー」さんからのメール。

以下の文章は、前回のブログで登場した
「アラウンド・フィフティー」ご夫妻から届いたメールです。
前回をお読みいただいてから、このブログをお読みください。

……………………………………………………………………………………

「アラウンド・フィフティー」本人です。たいへんお世話になりました。


(T君より)
素晴らしい結婚式でした!あんなに気持ちのこもった祝う会もなかなかないでしょう。
立命の人たちとも何十年ぶりに会えました。ありがとう♪

(Tさんより)
私も本当にうれしかったです。大げさに聞こえるかもしれないけど、
人生の転機になったわー。
(中略)三井住友銀行のCMじゃないけど、
「人は、人と、生きているんだ。」ということを実感しました。ありがとう。

(Kさんより)
おまえは幸せな男だな。
穏やかに、温かい夫婦のオーラを感じられて安心した。
連絡をとりあえる仲間が増えたことも嬉しい祝賀会だった。


これらは結婚式のあと、出席していただいた方々から頂戴したメッセージの一部です。
お世辞半分にしても(失礼!)、ほんとうに温かい、
ぬくもりの伝わってくるメッセージばかりでした。


それは、「かつてどん底に堕ちたやつが、
なんとか再起して、幸せをつかんでよかったなー」といった、
上から目線で祝福するようなものでは決してなく、
祝っていただいている本人が言うのもおこがましいのですが、
もっと双方向な、「場」を包む空気感のようなものだと感じました。

本来やるべき、ご招待への準備やら企画の立案など何から何まで、
渡辺くん、iさんはじめ幹事のみなさんにおまかせのままほったらかして、
僕のしたことといえば、前日に「手紙」を書いたことだけです。
企画そのものがお流れになるか、
もしくは準備不足のためにグダグダになってもおかしくないところを、
ともかく「見事に成立」させてもらった渡辺くんには、ただただ感謝です。

この「手紙」こそが、この会を成立させた鍵だったとのことですが、
僕が思うに、もうひとつ。
このメソンの立地や建物、絵や本棚などの調度品すべてが醸し出す、
この「場」の雰囲気が、温かい空気をつくりだす背景だったように思います。
出席された方々が、みなさん口をそろえて、「おめでとう」の挨拶のあとに、
「ええとこやなー」とおっしゃっていましたもの。
立命の同窓会はもちろん、「やぶれかぶれ」や「ぶあいそ」(そういう店があるのです)
の続きをメソンでやろうかとか、
「たんぽぽ」の旅行(そういう集いがあるのです)の宿泊先にええんとちゃう?
などという声も聞こえました。


このたびの東北大震災の惨状のさなか、
あるいはいささか場違いなコメントになってしまったかもしれませんが、ある方のメールに、
「『幸せ』って、人と人の関係の中にしか生まれないものなのではないか、
と思うようになっています。」ということに、まったく同感です。
今回の地震でまた思いをあらたにしました。
人と人との絆のかけがえのなさ、という意味ではつながりのあることだということで、
どうかご容赦願います。

ほんとうにありがとうございました。
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# by mesonbox1 | 2011-03-17 21:45

あまりに素直な言葉がもつ力。

「手を握った時の、あなたの手のぬくもりが好きです。
だからこれからもずっと手をつないで生きていきたい……」

この言葉、先日行われたぼくの大学時代の先輩の結婚祝賀会で、
奥さんからの手紙のワンフレーズです。
ぼくの先輩ですから、「アラウンド・フィフティー」。

このあまりに素直なメッセージに、
同世代の参加者はドギマギしていたに違いありません。


幹事の一人として準備にかかわり、このお二人に
「どうしてこの人と、これからの人生をともにしようと思われたのか?を、
本気で手紙にしてもらえませんか?お互いには内緒で。」
とお願いしていました。

このお二人は、付き合いだしてからの思い出をいっしょに整理しながら、
それぞれ徹夜で手紙を準備されたそうです。


ドレスも、指輪の交換も、誓いのキスもない、
このストレートなメッセージの交換だけで、
このお二人の結婚式は、見事に成立しました。
みんななんだか、幸せな気持ちに包まれていました


「幸せ」って、人と人の関係の中にしか
生まれないものなのではないか、と思うようになっています。

そこには、このお二人のような正面を向いた「コミュニケーション」が必要なのだと。

恋人、夫婦、親子、家族、友だち、仲間……。
さまざまな関係の中で、こんなコミュニケーションができる場と時間をつくること。

それがこれから、メソンが取り組むべき仕事なのだと思います。
結婚式だけではなく、もっと日常の中に、
非日常のコミュニケーションのための場と時間をつくりあげるということなのです。
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# by mesonbox1 | 2011-03-09 10:08

地域密着オーベルジュ?

半年ほど前、とあるセミナーで「地域密着オーベルジュ」を語る講師が現れた。
「私たちはコミュニティホテルのブランド化をめざすんだ」と。

メソンのこれからが、うまく見通せていない時期だったので、
興味深く拝聴していたのだが、「オーベルジュ」と「地域密着」「コミュニティ」が
頭の中ですぐに融合できない。
記憶の片隅には引っかかっていたのだが、消化不良のまま忘れかけていた。


神戸のホテルで支配人をされていた女性のブログのなかに、
そのときの講師の名が現れた。
パネルディスカッションがおこなわれ、そのテーマは
「コミュニティ・ブランディング」。

またしても、コミュニティだ。


このコミュニティという言葉、どうも「地域」を意味するだけではなさそうだ。

講師の方のブログなどから引用すると、

  私たちが掲げる「コミュニティホテル」の概念も、
  単なる地域社会の受け皿に留まるのでなく、
  主体的に地域に働きかけていく行為、
  地域の人々とつながることを主眼におくことはもちろんのこと。
  加えて、地域の枠を越えて、同じ目的、同じ価値観、
  同じ世界観を持つような人とのつながりをつくる、絆を深める、
  そして共感の輪を広げる。
  そんな企てをすることがコミュニティホテルの使命なのではないか?

  私たちのビジネスは「ホテル」という「ハード」、
  「ホテル」という「業」を通じて「コミュニティを創造していく」ことを
  通して、人々の幸せに貢献する。


まったく、別のところでもマーケティング戦略の傾向は…

  マスマーケティング
   ↓
  ダイレクトマーケティング
   ↓
  1 to1 マーケティング
   ↓
  コミュニティマーケティング

なんて語る人もいる。

またしても「コミュニティ」。


1日3組だけの小さなオーベルジュは、
「コミュニケーションの場である」を強く意識してきました。

  お客様の深いコミュニケーションのための、
  少しだけ非日常の時間と場を提供すること。

こんな役割を担っているんだと。

「コミュニケーション」と「コミュニティ」。
実によく似た言葉ですが、プライベート感やパブリックな度合いが微妙に違います。
また対象とする、数・ボリュームも違うような気がします。




このブログ、書いているうちに頭が整理されてくると思って
書き出しましたが、今の段階では無理なようです。

またこの続きは後日、ということで…。
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# by mesonbox1 | 2011-02-02 14:53

比良山麓の森にある オーベルジュメソンのオーナー日誌


by mesonbox1
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