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お墓はいるのか?

ぼくが高校生のころまで、
両親といっしょに、しばしば母方のおじいちゃんちに行く機会がありました。

おじいちゃんちは、岐阜県にある農家で、田んぼやミカン畑、
あちこちの「山」を所有していたようです。

お盆や年末年始には、一族があつまり、総勢2~30人で宴会なんてことは、
よくある風景でした。
そんなときには、必ずその家の仏壇や「先祖代々の墓」と刻まれたお墓に手を合わせ、
「おこずかいが増えますように」なんて願っていた、
筋違いの子どもでした。

おじいちゃんが亡くなり、その長男がその家を継ぎ、
今はそのまた長男(ぼくからすればいとこ)が当主となっていますが、
そのイエにはいまのところ子どもがいず、
会社勤めで、農業をしていません。

彼(いとこ)がいなくなった時点で、その「イエ」あるいは「家系」の存在がどうなるか、
定かではありません。

おじいちゃんが亡くなってから、ぼくはその家には一度も行っていません。




一方、父方の実家は、ぼくが生まれた時には、父の両親は亡くなっており、
あまりその実家に立ち寄ることはありませんでした。
お墓には行く機会がありましたが、「このお墓には誰がいるの?」って感じで、
親近感がまるでない状況でした。


つまり、ぼくの経験からすると「家系」を意識するには、
①当人がもの心つく頃に、少なくともまだ祖父・祖母の世代が生きていること。
②そのときにはすでに、その先祖の墓に手を合わせる習慣があること。
③「イエ」が継ぐべき、先祖からの財産があること。
が必要なのではないかと思います。



昨年末から今年の年始に、
ぼくの両親が亡くなりました。
同居していた兄の家では、
「そろそろ墓を準備しないと」と動き出しているようです。

そんな話を聞いて、「いらないと思う」と、
意見表明だけはしました。
どうも、現在の家族のあり方と、
「墓」というシステムが合致していないんではないかと。


我が家は、娘が二人。
ぼくの「イエ」の墓に行ったことがありません。
妻の「イエ」の墓には、一度か二度か。
つまり習慣化されてない。
この娘たちは、ぼくが死んだ後、
僕の親の墓ができても墓参りには行かないでしょう。
もちろん、悪意がないことは理解できます。


ぼくの父方の実家で証明されているように、
おじいちゃん・おばあちゃんがいなくなると、
同居していた兄弟がいてもその家にはあまりいかなくなってしまう。
もちろん、そのあり方はさまざまだと思いますが、
ウチでもそんなことになるかもしれません。

兄の家の墓参り経験は、わかりません。
家・土地は、所有していますが、
先祖から継いでいるものはありません。


現代の「イエ」は、親と子ども→親と子ども→親と子ども………、
という感じで、2世代の繰り返しの継続しているというだけ、という感じがしています。

そこに、「永続的」な継承を求める、
「墓」という存在は、合致していないんではないかと思うのです。



すでに、だれからも世話されなくなった、放置状態の墓の存在が、
社会問題化しつつあります。

おそらく、その流れは加速化される。
それがわかっていて、墓を新設することに同意しにくいわけです。

墓のあり方も多様化しているようですが、
どれも面積の大小が違うだけ。


ある人が亡くなった。
その人が亡くなったとき、
心から残念に思う人がいる。
ふと亡き人を思い出したとき、
手を合わせる場がそこにある。

そんな場(もの)があればいいと思うのです。

それは、現代では「墓」ではないと思います。




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by mesonbox1 | 2015-10-01 17:25