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「恩」を循環させる。

宗教者との対談で、とある文化人類学者がこんなことを述べています。

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人間とは常に誰かに何かを与えたり、もらったりし合う存在です。
そのことで人間関係ができたり、信頼が築かれたりするわけです。
誰にも何も与えない、誰からももらわないというのでは、そもそも社会関係ができないわけですし、社会が成り立ちません。

そこで面白いのは、人間関係やグループ同士の関係では、常にどちらかに「借り」があったほうが、信頼関係が長く続くということです。
たとえば、ご近所から「ミカンが取れたから」とたくさんのミカンをもらうと、ご近所さんに借りができる。なので「魚が取れたので」とお返しして、こんどは相手のほうに借りを作るわけです。
結婚式のご祝儀とかでもそうで、そうやって互いに借りを作りあうことで、人間関係が保たれていくわけです。

ところが現代人は、何かを借りているとどこか落ち着かないといって、借りは早く返して帳簿をゼロに直すのが良好な関係だと勘違いしていますね。
たしかに、ローンを借りたらそれを返して負債をゼロにしたいというのはわかります。
でも、人間関係は金銭の取引だけではありません。
誰からも貸し借りをなくして、関係を絶つのが最良の人間関係というわけではなく、
誰かに何かを借りている、だからいつか何かをお返ししようといった、好意の交換の連続が人間関係を豊かにしていくわけです。

もう一つ面白いのは、誰かから何かをもらって借りができたからその人にその借りを返す、といったように二者間の交換関係を築くよりも、AさんがBさんに何かを与えたとしたら、BさんはAさんにそれを返すのではなく別のCさんにそれを与える、といったように、贈り物が循環していったほうが、社会の中の信頼が高まり、安定していくということです。
たしかに、誰かとの二者間の交換関係ならば、その関係は2人だけで閉じてしまいます。またどちらか1人がいなくなって関係から離脱してしまえば、それでおしまいです。
でも自分がもらったものを他の人に返し、その人がまた他の人に返していくという関係は、とても美しい関係で、社会全体に信頼関係をもたらすわけです。

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恩をいただいた方にご恩返しするのは難しい。親孝行はいいことだと思いますが、親の恩に気づくのは人生でずっと後のことだったりします。
恩師の恩に気づいたときには、恩師はもう亡くなっていたりするわけです。
親にしても恩師にしても、自分が大切にされればそれは嬉しいけれど、自分が育てた子どもがその子どもたちや次の世代にその精神を伝えてくれたり、将来の社会に貢献してよりよい世界を残してくれることは、もっと嬉しく、ありがたいと思うにちがいありません。

仏さまからいただいた御恩も、それを仏さまに返すだけというのでは、閉じられた関係です。
それは仏さまも望んでいないのではないかと思います。
おかげさま、おかげさまと言うのはいいですが、いただいたものを握りしめて放さなかったり、単に宗教にのめり込んでその外に出てこなかったりするのは「御恩報謝」とはまったく違うということですね。
ありがたくいただいたものは、他の人にお返しする。社会へ差し出していく。
そこに本当の信頼の循環が生まれていくのだと思います。

(「今、ここに生きる仏教」大谷光真×上田紀行 平凡社)


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先日、父が亡くなりました。
この本で、少し落ち着きました。







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by mesonbox1 | 2014-12-26 11:12